来日期間に学んだこと2013 Prof.Vermelho29

三兄弟のうちで誰のファンだと言えないくらいそれぞれから多くの学びを得ましたが、この人のジンガからは本当に学ぶところが多いです。
Professor Vermelho29、Mestre Vermelho27からその名前をもらった人です。

2013年の来日で女性ホーダの前に大学での卒業論文の紹介をしてもらいました。
サォン・ラーザロというオンジーナの地域におけるカポエイラの役割について書かれた論文です。


※最初にTony de Vargasの歌を歌っていました。自由を求めて屈することのない黒人達の心の歌です。

サォン・ラーザロ地区は1755年にはその地域名が存在していたようで、当時の地域硬貨が確認されています。サォン・ラーザロの丘には当時、奴隷としてアフリカから連れてこられ、航海で病気になったり、傷ついた人々が集められた収容所がありました。その後病院となりハンセン病の患者が隔離され、カヌードスの乱(1895〜97年)で負傷した兵士なども運ばれ、この場所はもう治ることのない人々が見捨てられ、死を待つ場所として恐れられました。

グルーポ・テンポの道場はサォン・ラーザロの丘のふもとにあります。
現在は州知事の別邸が建ち、海沿いのオンジーナは高級ホテルが立ち並ぶラグジュアリーなエリアです。しかし、道場の坂を上がると、人々が救いを求めた、悲痛な叫びと敬虔な祈りの場所が姿を見せます。



※奴隷もインジオも差別なく診たといわれる医師の絵が教会に飾られています

サォン・ラーザロ教会はその名の通り聖ラザロを祀る教会です。聖ラザロは老人で、傷病の治癒の象徴で、あらわな肌に傷がたくさんあります。犬を従えており、傷を犬が舐めると治癒したという言い伝えがあります。
ラザロ聖人の裏にはシンクレチズモ(諸教混合…カトリックの聖人にアフロ宗教の神様を重ねること)から、奴隷たちがラザロ聖人に重ねたカンドンブレーの神様オモルーOmolúが居ます。聖ホッキも傷病の象徴ですので、一緒に祀られています。


※下はエチオピアの奴隷だったという聖べネジト。カポエイラの歌にも出てくる聖ベントと似ています

オモルーは身体をワラで包んだユニークな姿をしていますが、これは傷を隠しているためです。
オモルーはラザロ聖人と同様に病気や傷の治癒を司ります。そして呪いや妖術と死を司る神です。
死んだ人が身体から発するミアズマ(霧)を吸って、死んだ人の魂と精神界で繋がることができ、お葬式や墓と縁がある神様です。負の要素のようにとられがちですが、悪い方向に気が使われることを妨げ、アフリカでは天然痘やペストから守ってくれる神様と考えられています。
捧げものとしては白いカーネーション、ポップコーンを好みます。

サォン・ラーザロ教会では朝通常のカトリック形式のミサが執り行われ、夕方にはアフロ形式でのミサが執り行われます。ここではみな手を取り合って、アタバキのリズムで歌い踊りながら祝福します。

Vermelhoは論文の中でサォン・ラーザロ地区で行われる庶民のための文化活動を通じ、現代に生きる人々が忘れられつつあるアフロ・ブラジルの歴史を再認識できることの意義について触れています。
アフロ・ブラジルの歴史の一部を担っているサォン・ラーザロ地区では、毎年夏にラヴァージェン・ジ・サォン・ラーザロというお祭りが開催されます。
町の子供たちが伝統的なバイアーナの衣装を身にまとって、教会に向けて行進し、到着したらみんなで教会の階段を洗い清めるという伝統行事です。

このお祭りには道場の人々が皆参加し、中心を担っているのは道場主のメストレ・トニーの奥さん、ドナ・アニーです。このお祭りに向け寄付を募り、子供たちに衣裳を縫ってあげています。子供たちが自分たちの歴史を知り、文化の価値を確信できる機会は大切に継承していかねばなりません。自分たちの文化を知るということは即ち、自分を知ること、自分を育んで行くことだからです。

Vermelhoにとっては、それがカポエイラでした。
父親と幼い時に別れ、異兄弟4人の長男として、妹たちの面倒を見ながら、女手一つの母を助けるために子供の頃から働いていました。
オンジーナ近くのカラバー地区に引っ越してきたときに、道場でフラカォンとダヴィに出会い、そこから今でも本当の兄弟と言ってはばからない友情を築き、助け合い支え合いながら、トニーとアニーのカポエイラの教えの中で少年時代を過ごしました。


※楽器隊にいるのが左からダヴィ、フラカォン、Vermelhoです。

論文の中に、メストレ・ビンバのクアドラにも出てくるCosmeとDamiãoの例えが引用されています。

「メストレと生徒の関係は、コズミとダミアォン―決して離れることのない双子-のように、日々共に生きる中で人生の瞬間瞬間というものを共有していくのだ。共にした経験を通じて、カポエイラの本質と秘伝は生徒に伝えられていく。」

「生徒は自分のメストレを、自分の第一の父親のように理想化する。
メストレとは、そのように子供たちに対して、勇気や献身、敬意や智恵、時にマリーシアという識を伝えていく役割を担っている。
そのことで子供たちは“カポエイリスタになる”ということに意欲や意志が持てるようになる」

彼にとっては、トニーは自分のメストレであり、不在であった父親の役割でもあったのでしょう。
カポエイラを通じて自分が教育を授かり正しい道を歩くことができたように、自分自身も人を導ける人間であることを志し、昼間は働き夜間学校に通い、大学と大学院で体育教育学を修め、現在サクラメンチーナという私立の有名校で体育教師として活躍しています。
2011年のサルヴァドール訪問時は彼の職場を訪問しましたが、生徒たちから大変慕われている先生でした。


※同僚のネグレッチと。体育館で。

彼の家族もとても素朴で良い人たちばかりです。
兄弟は皆強い絆で結ばれており、もちろん兄弟全員カポエイラをしていました。
妻のホベルタも息子のマテウスも、皆ジンガしているカポエイラ一家です。
お母さんのドナ・リンダはいつも私達を歓迎してくれ、バイーアのソウルフードを用意してくれます。
自宅で食堂を経営していましたが、もう引退してしまわれました。


※手書きのレシピ、大きなお皿、大量のファリーニャと、もらったお土産は数知れず…


※左から奥さんのホベルタ、息子のマテウス、妹のスエリ。

人生の様々な困難に立ち向かい、壁という壁を壊してきたVermelho29。
強い意志と溢れださんばかりのエネルギーで、闘い続けてきました。
その強い意志は論文の随所に見ることができます。

「カポエイラの闘いは今日、かつて支配者に対して行われていたものではもはやない。
民主的で正当な社会のための、全ての抑圧と差別に対する闘いだ」
若い頃は血の気が盛んで、私が体験したカポエイラでの流血、ノックアウト、警察騒動…
という恐怖体験はおかげさまで全てVermelhoと共に…でしたが、なんとも今は
頼れる先生であり男です。

さて、そんなVermelhoとかずさんの家でフェイジョアーダを食べていた時の話です。
彼らがかずさんのために買ってきてくれたマリエーニ・ジ・カストロのClara Nunes特集
ライブ映像を一緒に観ていたら…意外とClara Nunes好き!さすがGuerreiro(戦士)です。
人生に打ち勝つ歌が大好きです。


※今年は由比ヶ浜に行きました。「ここはコパカバーナでオンジーナじゃないな」と言っていた…

彼は引っ越しが多い人生だったのですが、なんでもかの有名なMãe Menininha do Gantois (アフリカ由来の宗教カンドンブレーの祭司)のテヘイロの近くに住んでいたことがあるそうです。洗礼こそうけていないものの、娘のマンイ・カルメンMãe Carmemにご祈祷をしてもらったことはあるそうで、カンドンブレー関連のことになると畏れが強い彼は急にビビリです。過去に占術で「外国にサンダルを持って行ってはいては駄目」と言われて、日本では律儀に毎年購入しています。

ドナ・アスセーナのフェイジョアーダの後は彼らにとって恐怖の「餅」を食べながら「A verdadeira história de Maculelê(マクレレーの本当の歴史)」というサントアマーロ市が発行しているドキュメンタリーと「Documenário dos Mestres」というメストレ・パスチーニャのインタビューが出てくる映像を観ました。
このインタビューの時にはもうメストレ・パスチーニャは眼が見えず、麻痺があって、空腹と闘っているとコメンテーターに(皮肉じみて)解説されていましたが、インタビューの中でメストレ・パスチーニャは英雄であったメストレ・ビンバがゴイアニアで遂げた最期について例に挙げていました。
二人の偉大なカポエイラのメストレは1930年からのカポエイラの興隆期を引っ張り、ブラジル政府のためにも多くの功績を残しましたが、最後はどちらも政府からむごく見放されました。メストレ・ビンバはゴイアニアに移住し、サルヴァドールへの郷愁からバンゾという鬱病の一種で病に臥しました。
二人のカリズマを最後に迎えたのは天使ではなかったのでしょうか。なんとも悲しい話です。

有名な「カポエイラとはなんですか?」の質問に対する答え、「カポエイラとはマンジンガ、マーニャ、マリーシア、そして口が食べる全てのものだ」という言葉が語られ、私は実はこの「口が食べる物全て」の意味がいまひとつわかっていませんでしたが、Vermelhoのおかげでやっとこの言葉の意味が少しわかりました。

ブラジルでVermelhoの卒業発表の資料を観た時は「Mestre Pastinhaの最期」という別のドキュメンタリーを解説してくれました。
このドキュメンタリーの中でパスチーニャは、狭い何もない部屋で、ただでさえ小さな身体をより小さくして折りたたまっています。
パスチーニャの最後の妻だったドナ・アリスDona Aliceが出てきて、目の見えないパスチーニャの手に触れて聞きます。
「パスチーニャ、今は何を感じているの?」
「何も…全くなにも…。大丈夫だよ、神様のおかげで…」

貧困の中に亡くなったパスチーニャに、政府が情けで与えた一般の人用の棺を返して、妻ドナ・アリスはカポエイラの王に相応しい、彼の魂が休まるような立派な棺を自前で用意したというエピソードを観てアニーが泣いていたのが印象に残っています。

論文にもありましたが、Vermelhoはビンバの弟子の1人であるVermelho27からその名前をもらった当時はわからなかったけれど、名前と共に新たなカポエイラの未来の責任を一緒に渡されたのだと書いています。
先代から継承されたマンジンガは確かな教育指導と共に次世代に繋がっていくことでしょう。

Vermelhoとの今年の思い出と言えば、これらドキュメンタリーをいっしょに観た経験、そしてもうひとつ大切な言葉がありました。

「Alimente sua alma」(魂を養いなさい)
カポエイラのこと、またはカポエイラ以外のことで頭を悩ますことは少なくありません。
時にジンガができなくなることも、考えでいっぱいになってしまって身体が動かなくなることもあります。

この言葉は彼が私にくれたものではありませんが、彼の身体から出てきた愛情のある声掛けでした。

まずは、魂を休め、滋養してあげることが何より大切です。
この短くも心に響く言葉は、教会などで聞きます。
彼はあんなにコワイ感じですが笑やはり敬虔でシンプルで真摯な人間ですね。

今年の夏だけでなく、Veremlho29のジンガには一生学ぶと思います。

2013年も終わりに近づいています。
夏の振り返りをしているうちにもう半年が過ぎてしまいました。

三兄弟のうちで誰のファンだと言えないくらいそれぞれから多くの学びを得ましたが、この人のジンガからは本当に学ぶところが多いです。
Professor Vermelho29、Mestre Vermelho27からその名前をもらった人です。

2013年の来日で女性ホーダの前に大学での卒業論文の紹介をしてもらいました。
サォン・ラーザロというオンジーナの地域におけるカポエイラの役割について書かれた論文です。

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