O filme Besouro/映画「ビゾウロ」2009

“Meu Besouro voou, pega esse besouro..”
(ビゾウロ※甲虫 が飛んで行った。ビゾウロを捕まえろ…)

https://youtube.com/watch?v=FXiob6SamEE%E2%80%BB%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8C%E3%83%93%E3%82%BE%E3%82%A6%E3%83%AD

ある歌が誰かを想起させるということがありますが、この歌を聴くと、Formado Mexicanoを思い出します。
今年2013年7月はMexicanoと協力して、3つのクラスを開催しました。
その中でMexicanoがそのBesouroの歌そのもの、ビゾウロ コルダォン・ジ・オウロ Besouro Cordão de Ouro、ビゾウロ・プレットBesouro Preto、またはビゾウロ・マンガンガーMesouro Mangangáについての映画をみんなで観ようと提案してくれました。


※飛んでいます

Besouroは、1800年代の終わりから、1900年代の初頭に実在した伝説のカポエィラ使いです。
200110の奴隷小屋があったとされる、バイーア州サントアマーロにいた奴隷の子孫で、ビゾウロの時代に奴隷制は廃止となっていましたが、解放されても奴隷として従事していたのと同じ仕事に従事するしかなかった同胞たちへの、不当な支配者や軍警察の圧力と断固戦った英雄として知られています。

≪カポエィラの歌より≫
Onça preta foi lá em casa
Bateu na porta e falou
Eu sou lá de Santo Amaro, na roda só um terror
Era Besouro era Besouro, era forte como um touro

黒ヒョウがうちへやってきて ドアを叩いて言った
サントアマーロから来た ホーダは恐ろしいことになってる
ビゾウロ、まるで闘牛のような強さだ

本名をManoel Henrique Pereiraマノエウ・エンヒキ・ペレイラといい、あだ名がBesouroビゾウロでした。
Besouroはカブトムシのような、甲虫の類です。
ビゾウロについて、ブラジル連邦共和国外務省が発行している「Texto if Brazil」の「カポエィラと魔術」の項にも詳しく掲載されていますので、是非ご覧いただきたいですが、Mestre João Pequeno de Pastinha メストレ・ジョアォン・ペケーノ・デ・パスチーニャは、父親のいとこがビゾウロにあたるそうで、自身は子供の頃ビゾウロの武勇伝を聞いて育ち、ビゾウロのような勇者になりたくてカポエィラを始めたという逸話があります。
この映画の中にも、ヒーロー、ビゾウロに憧れて「ビゾウロごっこ」をする子供の姿が見られます。

≪カポエィラの歌より≫
 Zum zum zum Besouro Mangangá
 Batendo nos saldados da policia militar
 Zum zum zum Besouro Mangangá
 Quem não pode com mandinga,não carrega patuá

 ビゾウロがまた警察をやっつけた
 マンジンガ(魔法)ができないやつは、パトゥアー(お守り)を持っていないから。

ビゾウロの時代はまだ、カポエィラが禁止されており、農園主や見張り、監視人、警察は黒人たちのカポエイラやバトゥーキをとりしまりました。
黒人たちが力をもつことは支配者にとって大変危険だったからです。
ビゾウロは警察が大嫌いで、何度も闘いを挑み、そのたび警察に取り締まられていました。

Mandinga マンジンガ、という言葉は、西アフリカの河川、ニジェール川、セネガル川、ザンビア川が流れる、マンジンガ族という部族が居住していた地域に関係がある(1969年のWaldeloir Regoの研究による※Text for capoeira より)と言われ、姿を消したり、木の葉に化けたりという魔術のことをいうのですが、こんなことを書くと現代社会に生きるみなさんは、カポエィラはおかしな新興宗教かと思われるかもしれません。

ですが、ここで改めて、カポエィラの核に立ち戻って、下記の文章を読んでみましょう。

…特に、サルヴァドールとその付近一帯、Reconcavoヘコンカヴォに至る地域のカポエィリスタには、世間からみるとかなり風変りな、ある種の行為、信仰、迷信、習慣などがみられます。これはカポエィラ・アンゴラでの生活を通して習得したもので、現代社会の、いわゆる「ふつうの理屈」とは違う論理にもとづく行動なのです。そういう人たちは大抵、特別の注意力や洞察力、霊感、第6感などが発達していて、これに従って行動すると、ふつうの都市社会の行動基準から、かなり外れるのです。(Pedro Rodolpho Jungers Abib)

ビゾウロは、まさに甲虫のごとく固い甲羅で身体を守られていましたが、(魔術Mandingaによってコルポ・フェシャードCorpo fechado護られた身体になった)その魔術は、銃弾も刃物も通さなかったといいます。

この映画を観る上で知っておくべきことは、カポエィラの世界、特にバイーアという土地は私達が予想している以上にきっと、第6感の世界、つまり目に見えないものを取り扱っているということです。
先の歌詞に出てくる「魔法(Mandinga)が使えないやつはパトゥアーがない(patuá…お守り)」ですが、映画の中で、ビゾウロが神々の力を込めたお守りをもらうシーンがあります。


※オサイがビゾウロを癒します。

自然界は神々の力が宿っているというカンドンブレーの信仰に基づいてこの物語は進みます。
植物(葉)と治癒を司るOssãeオサイの神様が登場し、ビゾウロを癒し、闘いの神Ogunオグンがお守りに力を込め、魔術の力をビゾウロに与えます。
いよいよ準備が整ったビゾウロは、世の悪と戦うべく身一つで飛び立ち、見事に支配者たちを成敗していきます。


※右がエシューです。ビゾウロを護ります

登場する神様の中で一番象徴的なのは、Exú エシュー で、ビゾウロ も、ビゾウロの師であったメストレ・アリーピオ(Mestre Alípio)も、どちらも守護神はエシューでした。エシューは、2面性を取り扱う神様で、たとえば正と死、人間界と天界、物質界と精神界の、道が交差するところに存在します。
カポエィラ使いとして知られ、カポエィラの音楽にも出てきます。

≪カポエィラの歌より≫
Lembá ê Lembá, lembá do barro vermelho…..

このLembáとは、エシューの別名Legbaから来ており、エシューへのあいさつの言葉から来ています。
カポエイラ・ヘジォナウの祖、メストレ・ビンバ(Mestre Bimba)はExúの取り扱いには非常に慎重だったといいます。(Mestre Bimba -corpo de mandina  Muniz Sodreの著より)

エシューは、選択の仕方によって、ふたつの異なる結果をもたらすからです。
道の分岐となります。
たとえば、刀と例えて、それを人殺しに使うか、果物を切るのに使うのか、エシューはどちらでも加勢し、どちらにも結果を与えます。
映画の中では、エシューが見える人と見えない人がいる、というシーンがありました。


※左がエシューです。とても印象的な髪形…

ものすごくかいつまむと、武術の師弟関係、友情、裏切り、カポエィリスタ同士の恋愛、決闘と、極めて楽しいアクションムービーです。
振付・アクションは「キル・ビル」のHuen Chiu Kuで、とてもきれいな動きです。

映画は基本は歴史に基づいたアクション仕様になっており、ビゾウロの死、マラカンガーリャでの出来事などは省略されています。
最後ビゾウロは友達に裏切られて、同様に魔力を持つとされる「Tucum トゥクン/チクン」という木でできたナイフに倒れます。
銃弾も通さなかった身体に効力をもったのはまた、皮肉にも魔力だったのでした。

あっという間に見られてしまい、ポルトガル語もカポエィラをやっている人には聞き慣れた言葉ばかりです。
奴隷解放後のバイーアの黒人たちがどのように暮らしていたのか、バイーアという土地の歴史と文化を考える時、どんなベースがあるのかを知るのにとてもよい映画です。

なによりも重要なのは、こういった映画によってブラジルに存在した英雄と、受け継がれていくべき文化が、装飾されているとはいえ、人々の記憶に残る形となったことだと思います。
プロデューサーには日系人の勝ち組負け組問題を描いた「穢れた心」の監督、ブラジル映画祭でも上映された「オイ!ビシクレッタ」のヴィセンチ・アモリンが名を連ねています。

ビゾウロを歌った歌に「Lapinha ラピーニャ」という歌があります。

 Quando eu morrer me enterre na Lapinha
 Calça, culote, paletó, e almofadinha
 Adeus Bahia zum zum zum cordão de Ouro
 Eu vou partir porque mataram meu Besouro

 私が死んだら、ラピーニャに埋めてほしい
 ちゃんとしたズボンと、ジャケットとを着せて、それらしく埋葬してほしい
 さようならバイーア、コルダォン・ジ・オウロ(=ビゾウロ)
 旅立つよ、彼らは私のビゾウロ(甲虫)を殺したから…

ポピュラーソングとしてもブラジル音楽史上重要な作品で、エリス・レジーナが歌って大ヒットしました。バーデン・パウエルとパウロ・セサール・ピニェイロの共作です。
この歌はブラジルが軍事政権下だった時、たくさんの亡命したアーティストたちの故郷を思う気持ちを作品にしたと言われます。「私が死んだら、ラピーニャに埋めて」というのは、遠い異国から故郷ブラジルを思う人々の気持ちだともいわれます。
「私のビゾウロが殺されてしまった」は、軍から取り締まられる英雄に大して抵抗活動を続ける自分たちの姿を重ねているそうで、カポエィラの歌が様々な暗喩をもっているように、ブラジル音楽の多くにこのような特徴をみることができます。

このように人々の心に英雄としてビゾウロが語り継がれ、全ての不当な抑圧から人々が解放され、豊かな文化が受け継がれていきますように。

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