バイーア・セヒーニャへの小旅行1
小さく美しいセヒーニャの町を臨みます…
13(火)の音楽クラスではCarcará(カルカラー)という鳥の歌を取り上げました。
カルカラーはブラジルに生息する特有の鳥で、1950年代のブラジル北東部の
乾燥地帯の厳しい生活環境と抵抗の象徴とされています。
参考; この歌はカポエィラで歌っているカルカラーとは別の歌です。
バイーアを代表する歌手・マリア・ベターニアの歌う「カルカラー」はこちら。
クラス後の会話で、参加した人から「もっとブラジルの話が聞きたい」と言われ、
2011年の旅について書いていないので、歌の話と一緒に少しご紹介します。
私はブラジルに対して長らくビーチとアマゾンの印象が強かったのですが、2011年の
ブラジルへの旅でバイーアの内陸を訪れ、乾燥地帯への興味が少し深まりました。
過去にサトウキビ農園で栄えたSanto Amaroには小旅行をしましたが、Serrinhaは
全く異なる表情をもっており、放牧を中心にコーヒーや果物などの小規模な農業を
行っている乾燥地域です。
私の長年の恩人であるAniと、カポエィラの先生であるAntonio Rodrigues Nogeira
夫婦はふたりともSerrinhaセヒーニャという内陸の土地の生まれです。
内陸といっても沿岸のサルヴァドールから車で4時間くらいのところで、
今回はアニーのお母さんの家に滞在しました。
※高台からセヒーニャの町を臨む
※町の高台にあるSantaの像。ここに人々が祈りを捧げにきました。
※美しい夕暮れ。
※トニーとアニーが産まれた時に洗礼を受けた洗礼台。
※トニーとアニーが洗礼をうけた教会で
Antonio=Toniの生家であるNogeira家は、Serrinhaに最初に辿り着いた由緒ある一家で、
今でも一人、Samuelという老人が代々伝わる家に住んでいます。
ノゲイラ家の紋章
ノルデスチ・バイーアの乾燥地帯(Sertão)で開拓を行ったノゲイラ家のような人たちにまつわるエピソードはたくさんあります。
ノゲイラ家は医師や弁護士、研究者などから成る多い高名な一族ですが、町を作ったのは彼らだけでなく、セヒーニャの田舎で小さな農業を営む人たちも今なお苦労をしながらも小さな暮らしを大切に豊かに生きています。
食べ物も習慣も海沿いのサルヴァドールとは異なり、改めてサルヴァドールは
サンパウロなどと比べると田舎のようだけれど、都市なのだということを実感します。
セヒーニャの食べ物は次回紹介しますが、ここで印象的だったのは、アニーのお母さんがいつも車で聞いていた音楽です。
それは私はいつもあまりなじめないなと思っていたセルタネージョでした。
Sertão(セルタォン=乾燥地帯)から生まれた音楽なのでSertanejoなのですが、日本でいうところの演歌のようなものです。
抒情たっぷりに歌詞をかみしめながら歌うお母さんの顔が懐かしく思い出されます。
※いくつになっても母娘です。
こういう環境や暮らしの中から音楽や歌詞が生まれてくるのだなと改めて思いました。
次回はセヒーニャの食べ物や習慣についてご紹介します。