2006年ブラジル日記 サンパウロ 2日目

今日の一枚

Museu Afro Brasil

イビラプエラ公園になるアフロ・ブラジル博物館

昨日到着早々カポエィラしたので疲れでぐっすり眠れるかなと思ったけど、普通に時差ボケを起こして明け方目が覚める。何度か寝られるよう努力して、その後あきらめて日記を書く。
ゆきえさんを何度か起こしてしまったけど

「何時?」

「まだ寝てて大丈夫ですよ」

のやりとりをしてしばらく寝ていた。

朝食の後はちょうどサンパウロビエンナーレをやっているというので、イビラプエラ公園へ。

早速どのバス停でどのバスなのか人に聞き聞きいってたら、たらい回しでかなり歩いて公園近くまで来てしまったようで、バスに乗ったら結構あっという間に着いた。

公園入り口には大きなクリスマスツリー。

イビラプエラ公園はかなり広いようで、自分達が入った入口がどこなのかもよくわからないままに、
とりあえず近くにあった施設に入って地図を見ようと思っていたら、 
「museu afro brasil」という文字が目に入った。
アフロ・ブラジル博物館。
これは面白そうと思って施設の正面に向かう。照明がついていないようで、休館かも…と思ったら入り口に社会見学と思われるこどもがたくさんいた。
街では余り黒人の子供を見ないけど、このこどもたちの集団の中には3割くらいいる。

結構自分にとっては驚きだったのが、こういう博物館は無料なので、普通にただ入っていくだけ。

レセプションでカタログを見て驚いた。
この博物館はまさにアフロ・ブラジルの歴史、奴隷としてアフリカから連行されてきたアフリカ人たちとブラジルとの歴史が全て詰まっている。

どの地域からどこへ何が流れていたかを描いた巨大な地図(奴隷の流れ、奴隷の産物の流れ
など)、各地域のアフリカ人達の顔の特徴を絵に表したもの(アンゴーラ・モザンビーク、ベンゲラなど)、カンドンブレー(各オリシャーのそれぞれの人形や、アタバキの種類など)、
奴隷たちが労働で使用していた道具の数々、パラグアイ戦争で奴隷たちが軍に入っていた時の
資料、連行されてきた地域の王が来ていた衣装、ズンビとキロンボ・ドス・パウマーレスの抵抗活動…
そのままゆきえさんとミュージアムショップにカタログを買いに行ったら、バイーアでも見ないような本がずらっと並んでいる。

そこで私は博物館のカタログと、カンドンブレーの各オリシャーの解説にそれぞれの音楽・リズムが収録されたCDがセットになっている本を購入した。
奴隷解放のイザベル女王の本もあった。

1階は現代の作家が取り上げたアフロ・ブラジルをモチーフにした絵画、写真、オブジェなどの現代アート、2階は黒人たちのブラジルにおける歴史、地下一階はインジオと、主にブラジルの祭りを中心に特集されている。

受付で解説はないのか聞いてみたけど、こどもたちのようなグループでないと受付けられないといわれた。残念!
でもこどもたちは解説よりもこのくっついてくるおかしな日本人の私達にくぎづけ。
こんなものを見ていないでしっかり自分達の国の歴史を聞いてくれー。

1階から入っていくと早速サルヴァドールをあらわした店のようなオブジェと写真の数々が現れる。
写真が撮れないのは当然だけど、写真がとれないことをこんなにもどかしく思ったのは初めてで、
そこにはカンドンブレーで使う皿や、タバコ、マリア像、コラーなどサルヴァドールでよくみる物の数々が並んでいる。
もうすでにこの一つ目のオブジェでかなり興奮していたけれど、進んでいくにつれますます驚きは深まるばかり。ああ、日本のみんなにも知らせたい。これは本当にすごい。

次の展示室には、アフリカからの奴隷の頭部と顔をモチーフにした砂糖でできた現代作家の
オブジェが並んでいる。すごい気味が悪いが私は相当気に入った。
そのあと現代作家による写真が続き、カンドンブレーの儀式の写真や、アフロブラジリアンの
要人の写真などが並んでいる。
解説がない写真もあるんだけど、その中にメストレ・パスチーニャの写真があった。

ここまでですでにかなり衝撃を受けていたのだけれど、上の階に上がる前から鳥肌が止まらない。

ちなみにこの博物館はサンパウロ州だけでなく、ブラジルの大手石油会社ペトロブライスが援助
している。

これだけの規模の博物館となれば、相当お金がかかると思うが、昨日行ったイタウー銀行も
しかりブラジルの企業メセナの規模の大きさを実感。

2階へ上がると、まず大きな世界半地図が足元にある。それは奴隷が連行された海路と、その奴隷たちが生み出した産物がどこへ輸出されて行ったかが描かれている。

次の展示にはカンドンブレーの神様たちの大きな人形があり、各神(オリシャー)の衣装や
持ち物などがわかるようになっている。

その隣になんとも不気味な小部屋があるので入ってみると、そこには船の大きなオブジェがあった。
これは奴隷達を売買した後にアフリカからブラジルへ輸送するための船を再現したアートで、ものすごく暗い照明の中に寒い部屋、ただでさえ身の毛もよだつその雰囲気の中には、奴隷達がどのように船の中に配置されて輸送されていたかの有名な絵(それは本当にものを扱う配置で、スプーンを上下に並べれば場所をとらないというのと同じ仕組みをそのまま人間にあてはめて、頭と足を逆方向にして人を横にして並べて航海した)や、運ばれた際の逃亡を防ぐための手かせ・足かせなどが展示されている。

また売買の際の様子を描いた絵や、奴隷売買に関わった人々の姿、公開処罰の絵、労働の合間
にも足かせをはめられている様子の絵や、捕らえられたアフリカの王の姿の絵、売買の参考にしたのか、管理するために描いたのかわからないけれど、捕らえたアフリカ人奴隷達の顔の土地別の特徴を描いた当時の絵、航海の際に一緒に置かれていたと思われる(解説を読むのが恐ろしい
雰囲気で読めず)真っ黒でおぞましいキリストの像などが並べられている。

もうぞっとする。

メルカード・モデーロの地下の奴隷収容所もむっとしてぞっとしたが、ここは寒く、そして
とらわれの奴隷達をイメージした恐ろしい映像が流れていて本当にぞっとする。
解説を読むのも恐ろしくて早々に展示室を出た。そこにはとらわれたアフリカの王が着ていた
衣装や装身具、王の妻達の装飾具などが並んでいる。

次の展示室では奴隷達の労働の様子を特集している。
どんな労働をしていたのか、どんな道具を使っていたのか。砂糖の精製の様子やその作業道具、
男女それぞれの仕事の分担の様子、仕事に使う道具の展示や、カーザ・グランジ(奴隷の主人の邸宅)で召使として働いていた奴隷や、カーザ・グランジで暮らす奴隷の子供の様子などが伺える。

その後は奴隷達の宗教についての展示。ラーザロ聖人もいた。ボンフィン教会と、私も今年参加するカミニャーダ・ジ・ボンフィン(ボンフィン祭りの行進)の様子もある。

驚きの資料はとどまることを知らず、パラグアイ戦争の展示に続いていく。
徴兵された黒人部隊の兵隊の写真、証明書…こんな資料があるんだと驚くばかり。

行き止まりに資料図書館があったけれど開いていなかった。残念。

他にも現代のアフロ・ブラジルということでフィーリョス・ジ・ガンジー(フィーリョス・ジ・ガンジーは基本的に黒人でないと本来入会できない)についてや、地下では各地の祭で使われている人形や衣装などの展示があり、他にはインジオの写真などが展示されていた。
最後にインジオの女性が受ける儀式で、体に模様を彫るときの様子が展示されていた。
これもかなり衝撃。

この博物館は本当にすごい。
私が知らなかっただけでみんなサンパウロに来るカポエィリスタは訪れているのかな?
バイーアの文化に関わる全ての人にとって、かなり大事なルーツが詰まった博物館であることに間違いない。
ここからカポエィラが生まれたのだなと思った。
ここまで詳細に歴史を追ったこんな規模のアフロ・ブラジルに関する博物館はバイーアにはないと思う。
サンパウロ余り好きになれないかもと思っていたけど、これで一気にサンパウロが好きになれた。
すごい、さすがサンパウロ。

興奮しながら博物館を出て、途中のレストランで食事。今回初めての量り売り。
種類も豊富で、とてもおいしかった。

そこで、昨日コルダォン・ジ・オウロのホーダにいた人に会った。
ビエンナーレのスタッフをやっているとか。

公園内をテクテクと歩いて

ビエンナーレの会場に着く。

サンパウロ・ビエンナーレはブラジル(南米)の現代美術作家を一同に介した大規模な美術
フェスティバル。
日本では横浜でトリエンナーレをやっていますが、国際的にも注目されている巨大美術展。
ビエンナーレの会場は4階立てで、100人くらい?もっとかもしれません。(アーティストのリストとマップを買ったのですが帰路でなくしてしまった…)
これも当然だけど撮影はできないので言葉で伝えるのがもどかしい!
印象としては、南米は反北米感情が割と強い国なので、アメリカを皮肉った作品が多かった。
でもとっても楽しめる内容で、アーティストとしゃべったり、体験したりもできる。
面白かった。

イビラプエラを後にして、またいろんな人に道を聞きながらバス停まで行って、帰路。
バス停が遠くて結構歩いた。

偶然にしてもとてもよかった。大満足。

さて、夕方は国際交流基金のジョーさんとお会いすることになっている。
ジョーさんは私が仕事でベロ・オリゾンチに行った際にとてもお世話になった方。
実はジョーさんにご挨拶に行くのが今回のサンパウロ滞在の一番の目的で、
ダンサーの伊藤キムさんのブラジル公演の際に、私はツアーマネージャーとして同行しており
どうにも現地通訳が見つからず、初日のポスト・パフォーマンス・トークの司会までしてくださったのですがこれが本当にお見事で、通訳と司会をしながらぐっと観客の心をつかむお話ぶり。
ベロ・オリゾンチでもいろんな方をご紹介頂き、全ての旅程で助けて頂きました。

国際交流基金の建物。一階にJICA。

ジョーさんのご紹介でセンターの所長さんにもお会いすることができ、気がついたら2時間も話しこんでいました。
お二人とも日本から来た私達のことをとても温かく迎えてくださり、私たちの活動にも興味を持ってくださってとても嬉しかったです。
南米諸国大使夫人・ラテンアメリカ婦人協会のチャリティイベントのときにもブラジル大使夫人に言われた言葉
「みなさんがブラジルの文化を広げて下さっているんだから、私達がみなさんに感謝しないとね」
という言葉がジョーさんからも出ました。
これはよくブラジルの方に言って頂く言葉なのですが、何度聴いても感動します。

国際交流基金のサンパウロ支局は日本文化センターを併設していて、図書館や日本語教室
などをもっているとても立派なところでした。

さて、帰りはすごい夕立に合い、予定していた夕飯の場所まで行くことができず、ものすごい
風と雨がやむまでホテルで待機。

夕飯はホテル近くの適当なバーで信じられないくらい固い肉を食べました…。

ジョーさんに紹介してもらったレストランに行きたかった…。
ゆきえさんはバチーダ・ジ・アメンドインを呑んでました。
私はこれ好きなんだけどいまいちだったみたい。

ゆきえさんはいい感じに酔って今日は早めに閉店。

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