2019年アニーの招聘

2019年を改めて振り返ると、大切なことが実現しました。(Versão portugues em seguida)
私がブラジルに滞在していた時にお世話になったお家のお母さん、アニーを日本に招聘することができました。

よく聞かれますが私は現在カポエィラを実践でやっていません。
「私はもう実際にカポエイラはしていないけど、人生の中でジンガしている。マンジンガを使って交渉したり、ホーダの中で起こることだけをカポエイラっていうわけじゃないものね」。
この言葉は、私がブラジルに滞在していた家のお母さんで、先生のパートナーだったアニーが言った言葉でした。
その言葉を聴いた時はまだどっぷりカポエイラに打ち込んでいた自分は、大好きなカポエイラから、この人はどうして離れてしまったんだろうと、純粋に疑問に思っていましたが、のちに自分ごととして、その言葉を理解できるようになりました。
カポエィラそのものを学ぶことと同時に、私は彼女との生活を通じて、大切なことをいくつか学びました。ひとつは、カポエイラはコミュニティの中で育つものだということ、そして、ブラジルの文化表現は人間の尊厳にとって大切なものであるということです。

※かずさんの街、浅草を一緒に歩きました

多文化共生とは縁遠かった日本育ちの平凡な私は、道場に暮らして初めて、いろんな社会環境のこどもたちを知りました。道場にはきょうだいが10人以上いたり、親の違うきょうだいであったり、家庭環境も、社会的な階層も、肌の色も異なる人達が、地域の居場所として集まっていました。道場はビーチに近く、高級ホテルが立ち並ぶ一方で、すぐ裏の丘は、ファヴェーラのような大きな規模ではないけれど、社会的な立場の弱い人たちも暮らしていました。私はここで初めて、ブラジルとは本当に多様で、いろんな矛盾を内包して存在するのだとを知ることになりました。

※かずさんとくうご。7歳の時、親子で一緒にブラジルでカポエイラ修行をしました。
※南美とキクも、まだ小学生の頃にブラジルでアニーにお世話になりました。もうみんなすっかり大きくなりました。

先生たちは地域の比較的貧しい子供たちからは謝金をとらずに教えていましたし、事情があれば着るものも、時には食べるものも用意して、「悪いことに手をだすくらいなら、ここで過ごしていた方がいい」と預かっていました。先生はカポエイラの練習やホーダの度に子供たちにこう言いました。「この人たちは私達ブラジルの文化を学びに地球の裏側から来てるんだよ」
つまり、ブラジルの文化、自分たちがやっていることは、地球の裏から人が学びにくるくらい、価値があるものなんだよ、ということを教えたかったのだと思います。
ブラジルももちろん欧米追随が進んでいて、自国の文化より欧米文化に憧れる傾向はあり、私達外国人が思うほどは現地ではカポエイラは大事な文化だと思われていないのでした。

※リオに留学していた友達のおかげで横浜能楽堂を見学させてもらいました。

アニーは年に一度の丘の上の教会のおまつりで、女の子たちに伝統的なバイアーナの洋服を縫って、それを着てパレードを行うという活動を行っていました。
その土地の衣装を着て、土地のお祭りでパレードに参加することで少なからず子供達に自分たちの文化、すなわち自分たち自身の価値を再認識してもらおうという試みをしていたのだと思います。
こうしてカポエイラが地域で育まれている姿を目の当たりにできたことはとても大きな経験で、私はカポエイラの練習をしながら彼女の活動に一緒に参加したり、郷土料理を一緒に作ったり、生活を共にしていろんなことを学ばせてもらいました。

※大切な友人のお店、カポエイリスタの二人がやっているヴィーガンカフェ「バナネイラ」で。私の母と。

こうして私は彼女のやっていた草の根的な活動に感化されて自分のカポエイラを育てました。もちろん、第一に一番大切なことはカポエイラそのものとともに常にあることで、実践を継続していることが一番大事です。カポエイラを呼吸する、ジョーゴしてこそ、それこそがカポエイリスタだと私も思います。私は残念ながら表現したり実践する場がもう実際のカポエイラとは離れてしまっていますが、今も自分にできることに取り組むことでカポエイラに恩返しがしたいなと思っています。

※北九州に住んでいる幼馴染と、私を2011年にブラジルに送り出してくれた恩人のさおりさんと。@ブレン

そして私が長年10年以上にわたってずっと叶えたいと思っていた、彼女にもいつか日本に来て欲しいという夢を実現できました。
こういう社会活動を支えている人は、あえて取り上げないとなかなか改めてその価値を評価されることもありません。カポエイラの先生たちは毎年日本に招かれていても、彼女はいつもブラジルで日本から来る人たちをブラジルで迎えるだけで日本に来たことがありませんでした。

アニーには日本で、彼女がブラジルでやってきた社会活動についてのトークイベントと、バイーアの郷土料理のお料理教室をやってもらいました。たくさんの方にご参加いただき、時間を共有できたこと、ご参加いただいたみなさんの調和にお礼申し上げます。

※この乾燥エビはなんと天然でこの色になったものです!参加者には男性もたくさん◎ そしてお仕事でご一緒した方も、なんと高校の後輩も、そして研究会でご一緒した先生も、かつて小学生だった生徒と保護者の方も、本当にご縁のある方々がご参加下さいました
※ここでも「材料にはできるだけ手で触れて、感じながら、美味しくなれって、力を送りながら料理するといい」と言っていました。自分の手で、できるだけ。
※ヴァタパー、シンシン ヂ ガリーニャが完成しました◎
※バナネイラのみおさんもご参加くださいました。他にもたくさんのご縁で皆さんお集まりくださいました。

もう一つ、彼女との活動の中で大切なことは女性としての活動で、彼女のアイデアで始めた女性だけで行うカポエイラのホーダを過去2014年に2回日本で実施しました。女性がカポエイラをするというその意味は何か、という問いも、この道場にいたおかげでずっと学び続けています。
招聘を行うにあたっても、様々な困難がありました。私が引っかかったのは、ヴィザを申請する時に「彼女が主婦なら、夫の所得証明を提出してください」という言葉でした。支えてきた人の立場、そしてそれは往々にして妻であったりしますが、そういう無償のケアワークに取り組む人たちの立場とは本当に脆く、弱いです。…もし彼女のパートナーがそれを承諾しなかったとしたら? 彼女は日本へ行かれないのでしょうか。
日本にもブラジルにも、意識の上で女性にはまだ、マイノリティとして差別があると私は思います。

※アニーが日本で一番気に入ったのは「銭湯」!私の知っているブラジルの友人はみんな公衆浴場が苦手でしたが、かずさんの素晴らしい説明のおかげで、何度もお風呂でリラックスしていました◎

また、私がずっと気にかかっていたのは、カポエイラのホーダに入っていく女性たちの自己信頼感、自己肯定感でした。「私なんて…」「私はどうしてできないんだろう」「今日もホーダに入れず終わっちゃった」という言葉は本当によく聞きます。このテーマは今後も丁寧にみていきたい、自分にとても関係のあるテーマです。
アニーは「カポエイラは神様が奴隷に、闘って良いと与えた自由なのだから、何にも囚われることなく、闘って良い」といっていました。私たちはどれくらいの自由を手に入れて、表現できるようになったのでしょうか。どのくらい自分の力を信じられるようになったでしょう。

※富士山を見に山中湖へ行きました。残念ながら富士は雲の中でしたが、ここでも銭湯好き→温泉好きと、日本文化を楽しんでいました。
※富士山からの帰り甲府のmoxiesでごみちゃんの鍼を受けました。肩凝りが取れたとホッとしていました。

この企画を実現するまで、私がまだ指導者としてレッスンをしてた時のみなさんからの授業料や、参加費、媒体に書かせていただいた原稿料、そして個人的にご寄付下さった皆様のお心付けをすべて、貯めました。
参加してくださった全ての皆様に心から御礼を申し上げます。また、彼女に会いに来てくれた全ての方、そしていつも私を支え助けてくれる三人の大切な仲間にこの場をお借りして心からのありがとうを伝えさせてください。

※みんなで手巻きをいただきました。
※恩人のひとり◎「本当に楽しい時はみんな歯が出ちゃうのよね」と言ってました笑

彼女が残してくれた言葉に「サウダージはいい。サウダージがあるってことは、その人の心に自分がいるってことだものね」という言葉があります。
サウダージとは、今ここにはない存在を思う気持ち、離れている故郷や家族のことを思う時、懐かしむ気持ちとして使います。
一度しかない人生の中で、このような人の繋がりに恵まれたことに心から感謝しています。

Lembrei me que concretizei neste ano de 2019. Um grande sonho que eu tinha comigo desde que conheci o Casa 14, pode realiza-lo neste último verão. Conseguimos trazer a nossa querida Ani para o Japão!
É a mulher que me influenciou como capoeirista feminina. Aprendi muito com ela, mesmo que ela tivesse deixado a praticar a capoeira. Para mim, continua sendo a minha grande mentora.
Ela sempre acolhe bem as pessoas em sua casa com muito carinho, e as trata com respeito, e amor sem impor nada.
Eu também fui muito bem recebida como se fosse membro da casa como todos os outros anteriores a mim. Nos dias que passei com ela, aprendi a ver o mundo de um novo ângulo.
O mestre e professores da capoeira já vieram para o Japão varias vezes mas ela nunca pisou as terras de nosso pais, e sequer ela podia sair de onde mora. Apesar dela ter feito parte da casa 14, para qual ela se dedicou e colaborou, ela não foi devidamente reconhecida e valorizada. Gostaria de falar de seu esforço para com seus próprios filhos e também os filhos da casa 14. Sempre se dedicando qual seu máximo, o que posso chamar de verdadeiro projeto social.
Confesso que tal caminho não deve ter sido fácil, a barreiras que impedem as mulheres em especial, é ainda muito alta e espinhosa. As injustiça acontecem desde sempre. Muito me chamou a atenção e flustrou.
Porém, compartilha-los não só é negativo como também positivo, e com as pequenas economias que conseguimos acumular e com o que pude arrecadar com as pequenas economias de outros, também das aulas que dei, no final meu sonho se realizou. Ela veio! Obrigada a todos!! O tempo é tudo…o tempo resolva…
O elo que nos liga é que propiciou tal façanha. 
Nunca vou me esquecer, desse nosso empenho todo. Toda dedicação de Ani refletiu em todos nos. Todo o seu amor, toda essa dedicação ao trabalho repercutiu.
Ela nos deixou lindas palavras, com seguinte dizer;
Saudade é bom, porque sentiu saudade é sinal de que existo no coração de alguém.
Ainda hoje, morro de saudade dela…

Saudades,

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