東京外国語大学「日本のりずむ×ブラジルのリズム」講義
去る2013年10月28日に、東京外国語大学のポルトガル語専攻の大学1-2年生50名と、研究室のみなさんを対象に、カポエイラについての講義をさせて頂きました。
「現代ポルトガル語辞典」の編者のおひとりであり、ジョルジ・アマードやパウロ・コエーリョ、シコ・ブアルキといったブラジルを代表する著名現代作家の翻訳を手掛けておられる、
武田千香先生の研究室が主催です。武田先生の研究についてはこちら
当初、適任の方をご紹介しようと思ったのですが、
「ブラジルのリズム×日本のりずむ
~ブラジルの文化における喜劇性 ユーモア・笑い・遊戯性~」
というテーマを伺い、私なりにお話しできるところがありそうだということで、担当させて頂くことにしました。
私自身、カポエイラの中に豊かな遊戯性があること、そして遊戯性を持つことで生き延びてきたカポエイラの在り方に確信を持ち始めていたので、このテーマは非常に興味深いものでした。
主なトピックは下記の通り。
*****************
◆「Capoeira」の語源
◆「カポエィラをする」動詞
◆カポエィラの現代における様々な要素と役割
◆日本におけるカポエイラの歴史
◆ブラジルにおけるカポエイラの歴史
◆日本人としてカポエイラを身に着ける過程での困難
―体験談 日本で始めたカポエイラ・初めてのブラジル滞在・日本式お稽古ごと
―体験談 日本への招聘事業・国際交流・ブラジルの家族・サントアマーロ滞在記
―体験談 燃え尽きカポエイラからカポエイラを再発見
◆カポエイラの本質
3つのR(Respeito, Ritmo,Ritua)
3つのM(Mandinga, Malícia, Malandragem)
◆カポエイラの遊戯性
*****************
講義の冒頭はAntônio Liberac Cardoso Simões Piresの言葉で始めました。
カポエイラをひとことで説明するのはとても難しい。
カポエイラが歴史を通して多様なフォームを生み出し、またカポエイラが様々な
種類の社会の人々によって育てられてきたからです。
「カポエイラは防御、攻撃、ジンガそしてマランドラージェン」
ブラジル連邦共和国外務省発行“texts of Brazil”カポエイラ p,56
この言葉はカポエイラの特性を非常に良く表していると思います。
状況や時代によって、様々な人々に護られ生き延びる過程で、
カポエイラに変化は必須でした。時代に応じて、カポエイラが属していた
人々や階層も異なり、役割や効能、形態も変化し続けました。
カポエイラの持つ様々な要素や役割を少し挙げただけでも、次々と並びます。
-伝統芸能・文化遺産
-エンタテイメント
-アクロバット
-ダンス
-格闘技
-スポーツ
-フィットネス
-教育
-国際理解・国際協力
-歴史
-民俗
-哲学
-宗教
-社会福祉
みなさんならどの部分を取り上げますか?
きっと答えは10人10色と思いますが、私がカポエイラを通じた活動の中で
テーマにしてきたものは次の5つです。
1,文化 Cultura, Arte
2,団結 União e Harmonia
3,地域 Comunidade
4,教育 Educação
5,魔力 Mandinga
※道場には地元の子供がたくさん通っており、教育的な役割を果たしていました。
カポエイラは、一義的ではありません。ひとつの物事に対して、答えはひとつではなく、様々な可能性を次々とちらつかせ、答えに行きつく過程すら、たくさんの道が展開されます。
これは、典型的日本人の私にとって行きつくのに難しい道でした。
今日「はい」だったことが、明日は「いいえ」になっている。この受け入れ難さ。そして、正解がないのです。
辞書を引いて出てくる意味を直接指さないことだらけで、言葉の裏に隠されたもの、想起するもので世界が回っています。
これは、包み隠して生き延びたカポエイラの姿そのものなのです。
しかし、変化するものの中にも、必ず核となるものはあるはずです。
その変化の核にあったものは何だったのでしょうか…。
変化に付随していたものに、「遊び」の要素があります。
社会学者でジャーナリストのMuniz Sodréも、カポエイラの偉大なメストレ、ビンバを書いた本「Mestre Bimba Corpo de Mandinga」の中で「Asobi」という日本語についてまで触れていますが、カポエイラの達人というのは皆、遊びの天才でした。
まどわし、遊び、魅了する、誤魔化す…カポエイラそのものが遊びの要素を強く持っているのは、カポエイラはもともと、実際に遊び/余暇活動であり、魅力的なものだったからです。そして同時に、生き延びるための真剣な冗談、駆け引きでもありました。
私の先生・トニーの言葉です。
カポエイラは駆け引きを楽しむことから始まる。
お互い笑顔でジョーゴして、ふざけあう中で
相手の攻撃を呼び、自分の攻撃を探していくこと。
これがカポエイラの良さだ。
ただのケンカになってしまったら、カポエイラの特徴
はどこに行ってしまうと思う?
カポエイラ・ヘジォナウが創生されてわずか100年もたちませんが、現代の多くの人々はカポエイラをスポーツとしてのみ捉えているかもしれません。
しかしカポエイラは、黒人たちが日の出から日の入りまでの日々の苦役にあって、強制的に見知らぬ地に連れてこられた悲しみを傍らに置くことができる、つかの間の楽しみの時間に行われたものだったことも忘れてはいけません。
人を護る力だけでなく、ふざけ、分かち合い、活気づける力もあったでしょう。そして、自分が生きている今に、この時だけは喜びと誇りを持つことができ、肉体は捉われの身であったとしても、カポエイラをする時の精神は自由であったはずです。その力は人々の魂を癒したことでしょう。
※画家ルゲンダスの1824年の作品「Capuera」には「黒人たちには、もうひとつ別の、もっと乱暴でケンカのような、カポエィラという遊びがある。」と記述されています。
カポエイラは確かに格闘技です。しかし、奴隷たちは自分たちの体を鍛え、戦闘能力を上げるためだけにカポエイラをしていたでしょうか?
アフリカの地で奴隷狩りにあい、不幸にも選別され、3ヶ月に渡る航海を生き延び、ブラジルで高く売る価値がある、過酷な労働に耐えうる、とみなされたその身体は、不幸にも「選ばれる」に値する、充分な強さと可能性を既に持っていました。
パラグアイ戦争で招集された黒人奴隷の軍人が活躍したのも、その優れた体力とパワーをもって、接近戦で戦うことが多かったためだと言われます。
強靭な奴隷たちは3つのP(Pãoパン, Pano肌を隠す布, Pau棍棒)を与えられ、一日中働かされました。
鍛錬というよりも、全てを奪われ身一つで連れて来られた自分の身や心、感覚に刻まれているものをカポエイラを通じてやれる時というのは、自分の祖先や家族、民族と繋がる喜びや誇りが聞こえてきはしないでしょうか。
ただし、1930年代、カポエイラはいよいよ戦闘能力開発の要素を持ちます。
メストレ・ビンバは1928年に「バトゥーキとアンゴラが合わさった、より多くの攻撃をもった、真の格闘術、身体にも、そして精神にも良いもの」としてLuta Regional Baiana (バイア流格闘術)という名称でカポエイラの教授法などをとりまとめました。
カポエイラは警察学校のカリキュラムに取り入れられ、1939年からはサルヴァドール陸軍の予備武官養成所でカポエイラ・ヘジォナウの創始者である
ビンバが教官を務めることになり、カポエイラは鍛錬のための国家体操的な要素を帯びるようになりました。
※時のカリズマ、メストレ・ビンバ
強いだけでなく、試合前の即興歌などで人を魅了する洒落男でもありました。その魅惑の香気はなんと妻を21人ももったというほど
このようなカポエイラの様々な形態の理解のために、講義では歴史や語源を重点的に解説しました。
インディオ(原住民)、アフリカ人、ヨーロッパ人の混合で成る国の成り立ちや、
カポエイラを取り巻く歴史について急ぎ足でしたが解説しました。
-1500年 ブラジルの発見・奴隷船・奴隷たちの労働と待遇
-1600年Quilombo dos Palmares(カポエイラとは直接結びつけていません)
-1700年 記録にみられるカポエイラ
-1800年前半 ルゲンダスの絵にみるカポエイラ
-1800年後半 パラグアイ戦争・奴隷解放・Guarda Negra・カポエイラ弾圧の時代
-1900年前半 Pastinha と Bimbaの登場・ポピュリズム、ブラジリダージとカポエイラ
※Filme “Vadiação” Alexandre Robatto Filho
1954年の有名なフィルムです。Traíra, Curió, Bimba, Waldemar, Caiçaraらの姿を見ることができます。
ここでもタイトルは「ヴァジアサォン-遊び-」です。
人はどうしても目に見えるもの、直接的でわかりやすいことに魅かれます。
例えば、「カポエイラとは手かせをはめられた奴隷が主人への抵抗のために足技を発展させた格闘技」というさも直結していてわかりやすい物語を人は好みます。
しかし、カポエイラはその成り立ちにすでに直接的ではないもの、暗喩的で多様な要素を持っています。
隠しておかねばならなかったこと、「いいえ」と思ったことを「はい」と言っていたことなど、そのようにしてカポエイラは生き延び、またカポエイラをする人たちも生き延びてきました。
カポエイラは核の部分では目に見えないものをとりあつかっており、そこにこそ、大切なエッセンスが詰まっていることを逃してはいけないのです。
目に見えるもの、一次的に出てくる言葉で理解できることは表面的なことにすぎません。
これが、外国人の私にとってはただでさえわかりづらいものに更に外国語という層がかかり、ますます習得困難な点でした。
私はブラジルでカポエイラの先生の奥さんに当たる人にカポエイラ哲学を学びました。
彼女の言葉は印象的なものばかりですが、その一つをご紹介しました。
「バイーアの人は、相手の人柄を言葉じゃなくて体で感じるの。
だからどんなに口がうまくても、いい人かどうかはすぐわかっちゃうのよ。
バイーアで楽しく生きていける人と生きていかれない人はすぐ分かれる。」
いくら言葉で飾っても、伝わってしまう、隠そうと思って隠せるものではない、そういうものを察知するのがブラジル・バイーアの文化なのです。
この「目に見えないもの」「身体で感じるもの」へと導かれるのがMandinga(マンジンガ)であり、Malandragem(マランドラージェン),Malícia(マリーシア)という鍵をもって受け継いでいくことにカポエイラ継承の意義があります。
カポエイラは世界を大きく曲げて、道を開きます。Mandinga始め、どれも和訳することができない言葉で、目に見える物ばかりを追いかけて
きた生活文化に浸かっていた私にとって、ここへ戻ることはなかなか難しいことでした。
カポエイラは私にとって、最初は自分の「武道」という定義の中での鍛錬でしたが、まさに異文化の理解であるということを国際交流を通じて経験しました。
武田先生はJeitinho Brasileiroを「ブラジル式遊泳術」と見事に訳されていましたが、まさにブラジル・バイーアでは遊び、泳ぎ渡るような機転や巧妙さがなければちっとも楽しめないところです。
(Jeitinhoは、「ダメだ」と言われていた物事をやりくりして、いつの間にか「まあ…いいよ」にしてしまうようなブラジル式のやり方・交渉術を指します)「ハンドルの遊び」のような意味で余白、余裕という意味でもありますが、常に余白を泳ぐように楽しんでいます。
スケジュールをびっしりと埋め、毎日毎日やることがたくさんあって、課題が山盛りで、仕事大好きな日本人には、バイーアの人々のあの有り余るほどの余白はなかなか理解しがたいことでしょう。
例えるならばブレスのない楽曲のようです。そして彼らは音楽的なリズムという意味ではなく、独特の、その人なりのリズムを身体に持っています。遊びの部分を含んだそのリズムは生活へ、社会へと波及浸透していきます。不思議なことにそのリズムは互いに尊重され、また愉快に調和を生み出します。
Mestr Decânio(デカーニオ)の言葉に「カポエイリスタにとって重要な3つのR」があります。
Respeito(敬意)
Ritmo(リズム)
Ritual(儀式性)
自分のリズムを持っている人は、jogo(ジョーゴ)を制することができます。
ジンガにおける自分のリズムを持つこと。
そのリズムをもって調和し、また巻き込んでいく力を持つことが大事だと、先生たちの何人かに言われたものでした。
ジンガは、「Jangala」“揺り動かす”というキンブンド語からきており、※Nei Lopes バントゥ語→ポルトガル語辞書
この「揺れ」はリズムを生みだし、余白を生み出し、相手と、また自分を取り巻く様々な要素とのコミュニケーションを可能にします。
こうやって遊びの要素、そしてリズムを持つことの重要さなどをブラジルで肌で感じ、かけがえのないカポエイラの教えの数々と、時間や経験を重ねることができました。
そして、幸運なことに今度はブラジルから先生たちを日本に招くという活動を通じてお互いの文化についての理解をより深めることができました。
※メストレ・ビンバのリズムと血を受け継ぐ子供カポエイリスタ・レアンドロを日本に招待しました。
これらの経験について詳しく説明したのですが、
今回一番学生の皆さんが笑ったところは、私の通っていた高校の校訓が
「恥を知れ」だったとお話ししたところでした。
この校訓の意味は、「汝自身を知れ」ということで、
「自らを省みて自己の至らなさを恥じよ」という、今思い返すと凄まじい言葉でした。
この学校はこの校訓をもって、いわゆる「良妻賢母(良き妻、賢い母)」の代表とされていました。
実際私の家は、一家の主が箸を持つまで食事はしない、母は律儀にしまい湯(お風呂は一番最後の水が一番汚れているから!)に入っているような家でした。
果たしてそれが良妻賢母なのかははなはだ疑問ですが、そんな教育を受けた私がどうやってブラジル文化を理解できたのでしょうか?
しかも、私は典型的なA型人間でした。
(当時は)貴重面で、真面目、完璧主義、責任感が異常に強い、など…
これは血液型とは違いますが、心理学に「タイプA型」というのがあるそうで、
強いていうなら私はタイプAカポエイラだったと思います。
やるなら徹底的にやらないと気がすみませんし、正しいことが大好きで、正しさのためなら平気で人を傷つけていました。曲がったことや例外が許せませんでした。
几帳面で勝気で、真面目一徹で、定義づけしたものにこだわりました。
その考え方が祟って、やりこみ過ぎた私は完全に燃え尽きてしまったのですが、寛容なブラジルと、カポエイラは私を愛をもって、私のリズムを尊重して、呼吸が整うのを待ってくれていました。
まさに神様からの足払い(ハステイラ)をもらったかのようで、大きく転んで初めて、今まで見えなかった部分が見えるようになリ始めました。
それまでは「恥を知れ」とばかりに、その至らなさばかりに目が行っていた私でしたが、余白をもって改めてカポエイラと出会ってみると、カポエイラとはそもそも、自分自身であることの表現だったのだと再発見したのでした。
そしてそうであればあるほど、カポエイラそのもの、そしてカポエイラを護る力と繋がっていくことができるようになるようです。(これは、私自身はまだわかりませんが、どうやらそういう人たちがいることはわかるようになりました)
講義を通じて日本に渡って15年以上が経つカポエイラを改めて読み返しました。
これからもカポエイラを続けて行くうえで、目には見えないものだったとしてもカポエイラの本質や核にますます迫って行きたいと思わせてくれた素晴らしい機会でした。
このような機会を下さった、武田先生、花田勝暁さんに心より感謝申し上げます。
そして私に様々な知識や発見を与えてくれる多くのカポエイラの先達、仲間に敬意を。
また、興味をもって聞いてくれた東京外語大学の学生のみなさん、ありがとうございました!
講義の最後はMuniz Sodré’の文章でくくらせて頂きました。
大変興味深い章なので、和訳を試みました。私の文章はさておき、これは是非ご一読頂きたい作品です。
A capoeira dos velhos mestres baianos jamais foi esporte, e sim jogo.
É o mesmo que dizer que sempre foi arte,cultura. De um lado, a brincadeira, o descompromisso com a seriedade, tudo aquilo que restitui no homen a disponibilidade mental e física da criança.
De outro, uma prática integtada de luta, dança, canto, toque e forma de pensar o mundo.
Seus fundamentos? Flexibilidade, velocidade do impulso,ritmo corporal, malícia.
Arte-jogo, malícia é palavra-chave.
É a malícia que indica com precisão a capacidade do capoeirista de superar a história do seu ego(a consciência dos hábitos adquiridos e conslidados) e adotar, em questão de segundos, uma atitude nova.
Na capoeira, tudo se passa sem esquemas nem planos preconcebidos.
É o corpo sobrano, solto em seu movimento, entregue ao seu próprio ritmo, que encontra instintivamente o seu caminho. Senhor do seu corpo, o capoeirista imprivisa sempre e, como artista,cria.
Na capoeira,assim como na filosofia de Nietzsche, o corpo pensa.
Pensamento e corpo pertencem à ordem do diverso, isto é, a uma simultaneidade de coisas compreensíveis e incompreensíveis, que raramente passam pela consciência.
**********
かつてのバイア州のカポエイラのメストレ達のカポエイラは、スポーツではなく、「ジョーゴ」でした。
まさに、文化、芸術といえるものでありました。
またある側面では遊び-真面目なものにこだわり捉われず、
心も体も子供のように自由に振る舞うための考え方を人々に甦らせるものでした。
そして、闘いとダンス、歌、リズムと世界を捉える考え方が統合された
ひとつの実践でありました。 ではその原理とは?
柔軟性、インパルスの速さ、身体のリズム、マリーシア、芸のあるジョーゴ
…マリーシアはキーワードです。
マリーシアとはある必要なタイミングが来た時、
後天的に獲得され蓄積された習慣と意識で成るエゴを超越(乗り越える)できるかどうか、
そして瞬間的に新しい行動を受け入れることができるかという、
カポエイリスタの力量と技術を指すものです。
カポエイラでは、前もって決められたプランも、骨組みもプログラムもなく進んで行きます。
身体が動きなびいて、その動きの中に放たれ、自分自身のリズムをもたらすようになると、
本能に任せた自分の道と出会うことができます。
自分が自分の体の主であること、カポエイリスタはいつも即興し、アーティストのごとく、
「創る」のです。カポエイラにおいては、ニーチェの哲学のように、「身体が思考する」のです。