サントアマーロへの小旅行 (バイーア日記)

泊めてもらっているメストレ・マカーコの家のベッドはすさまじい埃で、しかもベッドの支えが不思議な数枚の板でできているというものなので、寝るのに難儀する。(板間に体が落ちるから)あきらめてクッションを取り出して床に寝る。

翌朝目が覚めると、水が止まっていた。これは結構大変なことだ。

まず、トイレに行かれない。

歯が磨けない。

手が洗えないのでめったな行動ができない。

でもとにかく静かな夜で、結構良く寝た気がする。
朝は目が覚めてたけど体が痛くてなかなか起き上がる気になれず、ずっとゴロゴロしていたけど、いよいよ貴子さんと二人して起こされる。
朝はパン、コーヒー、ジュース、バナナ・ダ・テーハ、バナナ・ダ・プラッタにスイカという豪華な食事。
水がでなくてどうやってコーヒーを淹れたのかしら。

午前中は近くでやっているコントラ・メストレベンデンゴーの教室を観に行く。
と思ったらベンデンゴーはおらず、コントラ・メストレ・ヴァウっていう25歳の若い人が地域のこども達のクラスをやっていた。学校ではないけど(学校は今休みなので)学校の代わりを果たすような教育施設のようだ。
そこの教室のひとつにこんなに入りきらないだろといわんばかりの子供の量。


そこでメストレ・マカーコがこども達に私達のことを紹介するのと一緒に簡単なお話。
うーんなんて毎回シンプルで感動的なお話なんだろう。
ここのこども達は素直でこどもらしいこどもが多い。あと年上の人のことをちゃんと聞く。
ちゃんと言うことを耳で聞くように教育しているんだな。メストレ・マカーコはすごいなあ。

【お話の一部】

「カポエィラは「強くなるため」に学ぶんだ。じゃあ「強くなる」って何だろう?なんのため?

ケンカをしない。
タバコを吸わない
お酒を飲まない。

Vで始まるよくない言葉はなんだ?」

Vio ぼう(メストレ・マカーコ)
lencia りょく(全員)

カポエィラで強くなりなさい。それは暴力にならないためだ。
そしてその強さは教育のために使いなさい

カポエィラは楽しみ育てていくものだ
もしカポエィラを学びながらわからないことがあれば、
音楽を思い出しなさい。そうしてわかることがあるから
たとえばどんな歌がある?
コントラ・メストレ・ヴァウ
♪Alecrim Alecrim dourado da capoeira de Angola quem me ensinou(ヴァウ)
全員が歌う
♪O meu amor meu amor não me faça assim assim assim
♪E o flor do campo e flor do campo …..

メストレ・マカーコ
次のパートを歌ってみよう
Alecrim Alecrim dourado que nasceu do campo foi semear (大地に生えたローズマリー、種を植えた…)
みんなはカポエィラをやっているよね。チゾウラを習ったり。
もしみんながひとつの植物の種をうめて、面倒をみて育てていったらどうなる?

全員「育つ!」

メストレ・マカーコ「そうだね。それと同じで先生達はみんなの面倒を見て育ててくれているよね?」
全員「はい」
メストレ・マカーコ「そうだね。そうしてカポエィラは育っていくんだよ。
そういうことをこの歌の中からみんなは学ぶことができるね。

次の言葉はなんだろう?」

O amor だね。
愛だ。
人を好きになるとか、
好きになった人によくしてあげたいとか、
そういうものが愛だね
その人のことを良く面倒を見るんだよ
そしてその人に敬意をもつんだ
じゃあこのお話の最後に質問だよ

お母さんのお手伝いをしている人は手を挙げて
(全員挙手)
お皿を洗ったりする人は
そうだ。そうやって家族の面倒をみて、家族のためによくしてあげようね

今日ここに来ている人たちはみんなカポエィリスタだ。日本から来てる。
私達にとってとても大事な人達なんだよ。私達の文化を外へ連れて行ってくれるんだ。
私達の文化
カポエィラはネグロから生まれ
カポエィラはアフロから生まれ
カポエィラは奴隷から生まれ そして
カポエィラはブラ
【全員】ジルからうまれたんだ

っていうお話のコーナーだった。

そのあとホーダに参加することに。

みんなはカポエィラの後に授業がある

ヴァウに送ってもらって、例の現アカデミア+事業施設に行く。
ちょうどパソコン教室をやっているところだった。

ペイントツールの使い方をやってた。

たかこさんはグラフィックに関わる仕事をしてるから、ペイントが使えて将来的に役に立つんだろうかと疑問。
でもおそらくこの事業のプログラムのひとつに「工芸・Tシャツプリントの仕方」というのがあるぐらいだから(こっちではまだ手刷りのところが多い)そのロゴのデザインとかはペイントを使ってるのではないだろうか。

さて、パソコン教室が終わったところで、メストレが私たちに質問の時間を設けてくれた。
まず、ACARBOの新しい施設の設計図を見せてもらう。宿泊施設も備えた綜合施設の設計案ができていた。
もちろん、カポエィラだけではなく工芸や勉強などにも対応している。

すごいね、夢はふくらみますね。
メストレ・マカーコはこういうカポエィラを通じた社会貢献事業に20年も取り組んでおり、すこしづつ時間をかけて今にたどり着いたように、これからも少しづつだけど努力してこの夢を現実にするんだと言っていた。ちなみに今40歳。

その後の夢のつづき

メストレ・マカーコは昔は紙製工場で働いていたらしい。海外に行くようになってから(フランスとドイツにグループがある)休みを取るのに無理がでてきたので、今は完全にカポエィラに集中している。
サントアマーロには紙製工場がいくつかあり、そこに勤めている人も多い。
そしてこの工場がサントアマーロの環境汚染を進めているそうだ。
サントアマーロの街に流れる川があんなにも汚染されているのはその工場の排水が原因とか。

それぞれが聞きたい質問をしていいことになったので、まずはたかこさんがカポエィラ・コルダォン・ジ・オウロのメストレ・スアッスーナとの関係を聞く。
メストレ・マカーコはもう4回、毎年イリェウスで開催されるカポエィランドというメストレ・スアッスーナのイベントにマクレレーの講師として招待されている。たかこさんは先々週、このイベントでメストレ・マカーコのマクレレーのクラスを受けたそう。

次にメストレ・マカーコのメストレについて聞く。
メストレ・マカーコのメストレは、サント・アマーロのアンゴーラのメストレでメストレ・フェヘリーニャ(Mestre Ferrerinha)グループは
Escola de capoeira filhos de Angolaというらしい。
マクレレーの創始者であるメストレ・ポポーの息子 Mestre Filho Vivi de Popoと同時期の人らしい。丁寧にアルバムまで見せてくれた。

【左上がメストレ・フェへリーニャ】

私はサントアマーロという町の成り立ちについて聞いた。
もともと小さな村だったサントアマーロは、最初インジオ(先住民)の集落だった。
18世紀に入って奴隷制の影響でアフリカのギネー・アンゴーラ・スーダンから奴隷として多くの黒人が連行されてきた。
当時のサントアマーロには110の奴隷小屋があり、各奴隷小屋に200人ずつの奴隷がいて労働に従事させられていた。
サントアマーロの産物はいうまでもなくカナ・ジ・アスーカ(さとうきび)で、多くの奴隷達がさとうきび農業に従事させられていた。
長らくサントアマーロはさとうきびの産地であり、サントアマーロに流れるスバエ川がその運搬の役割を果たしていたという。
ここからマクレレー(グリマ…マクレレーで使う棒…はさとうきびから始まったという話もある)そしてキロンボ(逃亡奴隷集団の自治コミュニティ)が生まれた。
こうしてサントアマーロには、奴隷制のある国の中で最も黒人の多い国ブラジルの中でも、アフロ・ブラジル文化が根強く残る街となっていった。

とこんな概要。最後にちゃんとまとまった資料をもらいました。

あと、どうしてもメストレ・マカーコに聞いてみたかった事があり、それはバイーアのカポエィラの特徴とは何だと思うかということ。
ちょうどメストレ・マカーコは来年バイーアのカポエィラのメストレを特集したDVDを作成するらしく、その準備の様子も見せてくれた。

これはいい話が聞けた。

バイーアのカポエィラは「カポエィラ・ソウタ」だと最初に言っていた。
Ginga solta, Capoeira solta….ソウタは解き放つ・自由である、みたいな意味でよいかなと思う。
バイーアより下の地域はロボットみたいなカポエィラをしていると言っていた。
みんなで同じ踊りを踊っているようで、魅力がないと。
カポエィラはPrópria Expressão(自分自身の・本来の・固有の表現) であって、自由な表現であり、自分自身を発見し、自分自身であることの表現なんだと。
そういうカポエィラを守っていきたいと。
バイーアより下の地域はまるでカポエィラがファッションのひとつのようになっている。誰かが綺麗な格好をしたり派手な動きをしたり、面白いカポエィラ(柔術とか、キメ技とかの入ったものなど)があればすぐ真似したがる。

誰かの真似をみんながしようとしている。

でも自分は誰の真似もしない。

自分本来の姿をカポエィラで探していかれるからだ。カポエィラとはそういうものだ。

自分自身の一番の表現なのだから。

自分がやりたいのはスタイルうんぬんではなく、本来のカポエィラなんだと。

本来のカポエィラこそが伝統的という意味ではで、それは流派がどうとかではなく、カポエィラを通じて
「Manter sua identidade com a libertação(“あなた自身”を自由と共に保っていく)」ことなんだと。
自分自身を発展させること、そして必ず
「喜び・自分自身がやりたいという気持ちを持ってカポエィラをする」ことが大事だと言っていた。
それがterapia na capoeira(カポエイラの癒し)だと。
こういう、人間の本来的な力・大事なこと、それを教えてくれるのがバイーアのカポエィラのいいところだと。


人に親切であること
人に愛をもつこと

人に平等であること

人に敬意をもつこと

人に感情をもつこと

自分自身であること

自由であること

そこからちょっと話がずれて、ビリンバウの言い伝えの話になった。
多分これは有名な話で私が知らないだけだと思うけど、ビリンバウにはいい伝え
があって、もともとビリンバウはある女性がイメージとなっているらしい。
その女性は報われない恋をしていて、その思い焦がれる気持ちが受け入れてもらえずにいた。

ある日彼女は湖に行き、その気持ちをビリバの木に託したところ、彼女の髪の毛が弦となり、体はビリバの弓となり、頭はカバッサとなってビリンバウとなったという話があるらしい。

まあもちろん本当の話じゃないだろうけど、こうやってカポエィラにまつわる話というのは色々あって、カポエィラってのはとても豊かで、終わりのないものなんだよと言って締めていた。

最後に加藤さんがどうしても聞きたいということで、なんだか説明しづらい質問を…。
彼はショーでマクレレーを見ると、いつもナタの打ち合いのシーンが出てくるんだけど、そのショーと、メストレ・マカーコがやっているようなものとどう違うのか?と聞きたかったらしい。私もうまく通訳できない。人によってマクレレーのリズムが違っていたり、やることが違っていたりするのが不思議なようなのだ。

知らない人のために書くと、マクレレーにはカポエィラのラダイーニャやクアドラのようにカント・ジ・エントラーダ(始まりの歌)がある。
その後も順番が決まっていて、マクレレーで使うリズムは全部で6つあり、歌や順番はそのリズムに常に伴って行われる。
多くのカポエィラのグループではひとつ、もしくは2つのリズムくらいしか使わない。
そして簡略して打ち合いのシーンやナタの打ち合いなどの派手な部分しかやらないが、カポエィラと同じでマクレレーにも決まりや順番というのはある。
Molequinho sinhoのシーンや Julema(ジュレマは薬草入りカシャーサの一種だそうです)のシーンなどは大概省略されるが、ACARBOでは必ず全部やる。これはやはり伝統を重視して、できるだけ本来の姿を保っていくためだと言っていた。

メストレ・マカーコは本当にすごいなー。顔は本当に猿(マカーコ)だし、最近英会話を始めたせいか適当に「アーハーン?」と返事するところとかはどうかと思うけど、素朴で強い人。

メストレ・マカーコのおうちに戻って昼食を頂く。今日は鶏肉。おーいーしーい。
のんびり食事をして、バスターミナルにバスの時間を調べに行く。
たかこさんは地元産アイスを食べてた。
のどが渇くんだけど、メストレ宅も事業施設も水が出ないというトラブルなのでやたらと水分が摂取できない。

戻ってからはちょっとした合宿気分でみんなの結婚観について話をする。

たかこさんは一芸に秀でていてサンバがうまくて、自分より運動神経がいい人がいいとか。
ていうか「サンバがうまい」っていうハードルはかなり難しいハードルだと思うんだけど…

ポンバさんは年齢から逆算して今結婚相手を募集中らしい。

やっぱりカポエィラしている人がいいとか
カポエィラに理解がないとダメだとか

カポエィラでのカップルについての話でひとしきり盛り上がる。
あとブラジル人は嫉妬深いっていう話とか。浮気性な人ほど嫉妬深いからだとか。

そんなこんなであっという間に時間になって、最後のクラス、ダンサ・アフロを受けに行く。
あーつーーーい 暑い!!

先生は2年前に教えてくれたシキーニョ。
参加者はこども達。今日はダンサ・アフロの基本の振りをやる。

あー楽しかった。
ていうか貴子さんやっぱりもともとダンスやってただけあってうまい!!かっこよかった〜。

バスの時間があるので途中でクラスを抜けさせてもらって、メストレの家で水がでない風呂場でバケツでそれぞれ水浴びする。…すごいな…
急いで支度してメストレに授業料を払って、バスターミナルに向かう。
授業料は自分達で価値をつけてくれと言われ、こういうのは結構迷うのだけど、ポンバさんのアイデアできっちりと払って(ちょっとプラスとかなしで)それにこども達のイベント用に飲み物を差し入れしたらいいんじゃないかということになった。それはいい。ただお金を渡すだけってのもなんだかだし。

メストレ・マカーコはこうやって外国から来る人を受け入れることも最近は多いと言っていた。
知識と情報の全てを欲しがり、でもこちらには何も残さずに帰った外国人もいたと言っていた。

メストレ・マカーコと記念撮影

夕暮れのサント・アマーロを後にする。

帰りのバスがすごい速さで急カーブを曲がるもんだから、頭上の荷物が降り落とされそうになる。
たかこさんが慌ててもどそうと立ち上がったら今度はたかこさんが飛ばされてた。
幸い事故にならなかったけど、周りの人達のリアクションがすごかった。
みんな超ウケてた。こんなとこでウケとってどーすんのってくらい。

涼しくて風が気持ちいい。来年もたかこさんはカポエィランドに来るので、その後サントアマーロにまた来て、今度はフェイラ・ジ・サンターナにメストレ・クラウジオをたずねて行こうというツアーが計画された。メストレ・クラウジオはどうも森に暮らしているらしく、それは水が出ないなんてもんじゃないような生活してるんだろうなー…

帰りは何故か1時間で着いた。1時間半のはずが…あと帰りのバスの方が安かった。なぜ?

サルヴァドールに戻って、中央バスターミナルで買物して、オンジーナへ戻る。
今日は一応私は最後のホーダなんだけど、着いてみたら案の定こどもが出たり入ったり。大人はヴェフメーリョとモレーナしかいない。
貴子さんは見ていることに。加藤さんはうちのサンバ・ジ・ホーダに出たいということで参加。
私は楽器だけやる。

うーん。

うちのこどもたちは本当にダメだな…。

そんで今日は何故かサンバ・ジ・ホーダがなかった。おいおい。
今までなかった日なんてないのに。
トニーにやらないのかと聞いたら
「こんな人数でみんな疲れてるのにどうやってサンバなんてやるんだ!」
といわれる。今までもこんなもんだったと思うけどねえ。
加藤さんせっかく出たのにサンバないし悲惨だったなあ涙

最後のサウダサォンの後に、何か一言あるかといわれて、余りに悲惨だったので今日は何も言わず。「何もない」といったら「何もない?!」とトニーに言われたけどまあ本当だ。

部屋に戻ったらフラカォンの部屋からフェスチバウ・ジ・ヴェラォンの生放送が聞こえてきた。
イヴェッチ・サンガーロのライブをやってる。

はあーいいな。
いい曲ばっかり流れてた。

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